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 Cognition(認識力)とは、見たり聞いたりした状況や人の言動に対する認識のクオリティのことをいう。同じ事実(周りの状況や人の言動)を見ても、人によって認識は様々に違う
アフリカの靴話」を例にとれば、「誰も靴を履いていない」という「事実」に対して、Aさんの認識は「だから靴のマーケットはない」。Bさんの認識は「だから靴のマーケットは無尽蔵」。全く同じ事実に対して正反対の認識になっている。
 では人はまず、事実(状況や人の言動)を見たり聞いたりすると、頭の中にその事実についての解釈を書き込む。それが認識だ。その認識を基に感情が沸き起こり、行動に移す。その行動が結果を生む。つまり、結果を決める大元の原因はCognitionなのだ。

Fact(事実) → Cognition(認識) → Emotion(感情) → Action(行動) → Result(行動)


「彼氏からメールが3日間ない」というFact(事実)があるとする。それに対して、ある人は「私のことをどうでもいいと思っている」というCognition(認識)を持つ。怒りというEmotion(感情)が生まれる。激しく責め立てた上で「そんなに私が嫌いなら分かれよう」というAction(行動)をとる。ある人は「なんでだろう?忙しいのかな?携帯をなくしたのかな?」というCognitionを持つ。ダークサイドな感情は生まれない。心配そうに理由をきいてみるという行動をとる。それぞれの結果は違うはずだ。


幸せキャラと不幸キャラ
幸せキャラとは、周りの人を幸せにし、自分自身も幸せにするキャラクター。
 不幸キャラは、周りの人を不幸にし、自分自身も不幸にしてしまうキャラクター。
 幸せキャラは、周りの人や環境に対して、賞賛し、感謝し、好意を示し、お互いに協力して幸せになるための建設的な発言や行動を行う。そのプラスのエネルギーは周りにも伝染し、自他ともにハッピーな環境をつくりあげていく。明るく楽しい職場環境は、幸せキャラによって創りあげられる。
 不幸キャラは、周りの人や環境に対して、不満をもち、怒り、妬み、非難し、攻撃することに終始する。そのマイナスのエネルギーは、周りにも伝染し、すさんだ環境をつくりだすだけではなく、本人の心も擦り切れてずたずたになる。暗くすさんだ職場環境は、不幸キャラによって創り上げられる。
 全く同じ状況に居合わせていても、幸せキャラと不幸キャラとでは、違う感情を持ち、違う行動をとる。そして、人を幸せキャラと不幸キャラを分かつのがCognitionである。

My ChoiceとCognition
 Cognitionの「認識」とは、My Choiceで選択の対象になっている、Thought(考え)、Action(行動)、Life(人生)のなかのThoughtに関係している。このThought(考え)の選択を左右するのがCognitionであり、Cognitionの差がThoughtの選択の差である。Cognitionは、人が状況に接して初めて起こす選択であり、その後の選択(Action)に決定的な影響を与えることになる最も重要なMy Choiceである。

判断力とCognition
 業務を行う上では日々無数の判断を行うことになる。それはマネージャーが決裁を行うときだけではなく、どのような業務でも瞬間瞬間でいろいろな状況に接し、その中で無意識に無数の判断を行っている。その判断の善し悪しが業務の結果につながっている。判断力というと、一般的には情報収集、知識、経験のことを考えてしまいがちだが、実は最も大切な要素がある。判断力の最大要素は実はCognitionである。

正確なコミュニケーション(Accurate Communication) 
 業務上の非効率、損失、失敗のほとんどはその原因を探っていくと、ミスコミニュケーションに行き着く。そしてミスコミの原因のほとんどは、Cognitionの問題である。正確なコミニュケーションを行うには、正確な認識を行えるよう訓練する必要がある。

Cognitionと翻訳
例えば、「Aさんが明日は雨だといった」という事実に対して、「明日は雨だった」という認識をしたとする。これは翻訳でいえば誤訳だ。「Bさんが元気がなかった」と「Bさんは病気だ」は違う。我々は、日々頭の中で見たり聞いたりした事実を翻訳をして認識しており、正確な翻訳を行う人はCognitionの能力が高い人。誤訳だらけな認識の人はCognitionが低い人だと言い換えることができる。

意志があればできる?できないものはできない?
やろう、したいという意志があるかないかで、どのような認識を選択するかが変わってくる。認識が違えば行動の選択も変わり、結果も変わってくる。なぜ人の意志が物事の結果を変えるかの理由である。「物理的に不可能なものは不可能」という意味において「できないものはできない」というのは正しいが、実際には「できない」ということばが使われるときは、「できない」という事実ではなく、「できないと思う」「できないと推測する」といった認識のことを言っている場合がほとんどである。「できない」と「できないと思う」とは違う。にもかかわらず、この二つを区別していない人が多い。「できないと思う(推測)」=「できない(事実として認識)」=「諦める」という図式になってしまう。「○○したい」という強い意志や信念があると、少々の障害があっても、「できないと思う」のではなく、「できないはずがない」という認識を選ぶ。この違いが結果を左右する。


良い認識・歪んだ認識

 人は(自分も他人も)いかに頻繁に歪んだ認識をしてしまうか。それを元に、いかに歪んだ感情をもち、間違った行動しているか。まずは、認識の歪みについての問題意識を持つことから始まる。
 まず自分自身の認識について。自分自身の認識はいつも正しいとは限らないことに気づかねばならない。ダークサイドの感情を抱く前に自己の認識を疑うべきである。行動に移す前に入念に事実関係を調べる習慣をつけねばならない。もう一つは人から聞く話について。他人も同じく人間だから、間違った認識を持つものだ。だから、人から聞くことは鵜呑みにしてはならない。「認識の歪みがあるかも知れない」ことを考慮に入れて対応せねばならない。
 認識の歪み(cognitive distortion)を放置すると、歪んだThoughtや誤ったActionを選択し、業務や人生における判断を誤り、不幸キャラと化す。認識の歪みがあるままに人に伝えると、ミスコミが発生し損失や事故の元になる。会話は支離滅裂で「非論理的思考」(illogical thinking=論理を無視した思考)によってなされ、健全なコミュニケーションは成り立たない。

1、「確か」と「不確か」の分別をつける

  コミュニケーションの際には特に細心の注意が必要である。確認すべきものは、確認して確かにする。不確かなものは、不確かなものとして扱わねばならない。「不確かな」ものを「確かな」ものとして扱うと、ミスコミ、損害、事故、不幸が発生する。例えば、電話の伝言でアポイントの時間を伝えるときに、相手が「3時」といったかどうかが不明確な場合は、「3時とおっしゃったと思うのですが、確かではありません」と伝えれば嘘を言ったことにはならないし、それを聞く人も不確かなこととして対応できる。しかし「3時です」と言うと、嘘をついたことになり、相手もそれを前提にしてしまうので、問題が起きたらあなたは加害者ということになる。不確かなことは、「確かではないのですが」「確認はしていないのですが」と分別をつけるよう習慣化すること。

 
2、「事実」と「推測」の分別をつける

  実際に見たり聞いたりしたことが事実(Fact)。それを基にして想像したことが推測(Speculation)。この2つを混同することなく、きっちりと分別をつけることが大切。事実は判断や行動の前提にしてもよいが、根拠のない推測を判断や行動の前提として扱ってはならない。事実かどうかを確かめないまま、推測、思い込み、憶測をあたかも事実であるように前提としてしまうのは、歪んだ認識である。
  推測すること自体が悪いのではない。推測は推測として扱うなら問題はない。推論し仮説を立てるのは重要な能力である。「○○という可能性がある。もしもその場合は・・・」というように、可能性がある仮定として扱うならいい。「○○である。だから・・・」と事実のように確定済みの前提として扱うと問題である。また、推測を人に伝える際には、「推測ですが」「ここから先は私見ですが」と分別をつけるよう、習慣化すること。

3、人の分別をつける

  「○○は不可能だ」というのと、「Aさんが○○は不可能だと言っている」というのでは違う。「私が不満に思っている」は「多くの人が不満に思っている」とは違うし、「3人賛成している」と「みんな賛成している」は違う。「何が言われているか」だけではなく、「誰が言っているか」が重要である。それを無視するのは歪んだ認識である。
  Aさんが○○さんがダメな人だと言うのを聞いたとき、「Aさんが○○さんがダメな人だと言っていた」が事実であり、「○○さんはダメな人だ」というのは事実ではない。「スキャナーはありますか?」という質問に対して、自分が見たことないからといって「ありません」と答えたら、それは事実ではない。「私は見たことがありません」が事実である。質問した方もそれをその答えを聞いて「スキャナーはない」と認識してはならない。「その人は知らないと言っている」というのが事実である。
  また、ミスコミの巣窟となるのが、伝え聞きというスタイルのコミュニケーションである。自分自身の認識の歪みを気をつけているだけでは済まない。人間は基本的に誰もが歪んだ認識をする。自分の周りには、歪んだ認識がうじょうじょあると想定した方がいい。COGNITIONを高めるにあたってのテーマは2つある。自分自身の認識が完璧なものではないことに気づき、正確な認識をするように心がけること。自分の周りの人の発言を鵜呑みにせず、歪んだ認識に振り回されないような術を身に付けることである。

4、前提の分別をつける

  前提によって結論は変わる。こういう場合は○○だけど、ああいう場合は××になるというふうに。それをどんな場合でも○○だと思うと歪んだ認識となる。だから、常に前提を意識しながら分別して認識をする必要がある。
  前提には次のようなものがある。
  1. 条件
    「寿司が食べたい?牛丼が食べたい?」と聞かれて「寿司がいい」と答えた人も、「でも自腹だよ」といえば「それなら牛丼がいい」ということになるかも知れない。
    また、「寿司屋なら歩いて30分、牛丼ならすぐそこ」と言われればどうだろうか?
    翻訳でお客さんに「原稿のデータはない」と言われたからといって、本当にデータがないとは限らない。紙原稿とデータ原稿で翻訳料金が大きく違うことを説明すれば、多くのお客さんはそれならデータを探す、または取り寄せるということになるだろう。条件によって答えは変わる。条件はすべて提示したうえでの返答が真意だ。条件が伝わらずになされた発言は、表層的なことばだけで正しいものとして認識すべきではない。
  2. TPO(時、場所、場合)
    ある時に正しいことは、別の時にも正しいとは限らない。時が変われば状況も変わる。場所も同じである。例えば、東京タワーに向かって南から車で走っているとする。そのとき東京タワーは北にある。その後、東京タワーを通りすぎる。すると今度は東京タワーは南にある。それを「さっき東京タワーは北にあると言ったのに、今度は南にあると言っている。なんで言うことがコロコロ変わるんですか?」と責める人はいまい。ところが実際の業務では、このようなことは頻繁に発生している。特に、上司のことばに対する部下の反応に多い。通常上司の方が視野や観点が広いので、上司が知っている状況の変化を部下が気づかないことが多いからである。
    単に発言の内容を表面的に認識するのではなく、その前提となっている時、場所、場合があるということを常に忘れないようにしなくてはならない。
  3. ことばの定義
    同じ言葉を使っていて分かり合ったつもりで、実は言葉の定義そのものが違っていたことが原因のミスコミもある。外国語だけではなく、日本人同志でも有り得る。特に普段は接点がない人同志のコミュニケーションに起りがちだ。なまじ言葉が同じであるが故に、理解できたと完全に思い込んでしまうので、後でミスコミであったと判明したときの衝撃が大きい。
    <例>
    A「CD−ROMが動かないですけど」
    B「はい。まず、どのような環境でパソコンをお使いになっているかを教えて下さい」
    A「環境は問題ないです」(日当たりもいいし、空気もきれいだ)
    B「電源は入ってますか?」
    A「電源ですか?はい。」(コンセントは入っているが、パソコン本体のスイッチを入れていない)
    B「そうしますと、難しいですね…」
    A「欠陥品じゃないんですか!」
  4. コンテキスト(文脈)
    言葉自体の意味の他に、言外の情報も認識の正しさに影響を与える。前後の文脈である。例えば、
    A「冷蔵庫の中に水はありますか?」
    B「ありません」
    Aが飲み水としての水を求めているのなら、これはミスコミにはならない。ところが。。。
    A「冷蔵庫の中に水はありますか?」
    B「ないけど。どうして水が欲しいの?」
    A「お茶が熱すぎるからさましたいんだ」
    B「ああ、なら氷があるよ」
    この場合だと、先程の「ありません」という答えはミスコミとなる。

5、視野をふまえる

  拡大解釈を行わないようにするには、そもそも自分の見ているものが一部であることに気づかねば始まらない。ところが人間、自分が見えるものがすべてだと思いがちで、自分とは違う観点があるということや、自分の視野がどの程度の広さかに気づかないものなので、相当な注意が必要となる。
  象触り話や船漕ぎ話を思い出して欲しい。あれが視野の意味である。物事を見るときは、自分がどの観点から、どの程度の視野で見ているかをふまえることが肝要だ。そうすれば、自分が見ているものが限定された部分であることに気づき、それをふまえた認識をすることができる。
  視野が広ければ、様々な観点でものが見れるようになる。様々な観点でものを見れば、Cognitionの質も良くなる。視野を広める価値はここにある。Cognitionの質を高めるところに視野を広める価値がある。単に海外にいって珍しいものを見るのが視野を広めることではない。Cognitionが向上しなければ単なるレジャーであり、ディズニーランドや映画をみるのと何ら変わりはない。

6、拡大解釈をしない
 
  ごく一部の事実をもって一般化して語る。些細なことを大袈裟に大問題にしてしまう。これらの歪んだ認識を拡大解釈(Stretch)と呼ぶ。
  例えば、A君が遅刻するのを2回連続で見たとする。その際の事実は「A君が遅刻するのを2回見た」であり、「A君はいつも遅刻している」ではないし、「A君は勤務態度が悪い」でもないし、ましてや「A君は問題社員だ」でもない。
  書類に計算ミスがあったとする。その際の事実は「書類に計算ミスがあった」であり、「管理体制がずさんだ」でもなければ、「この組織の人はみんな真剣に仕事をしていない」でもない。
  一部は一部として全体に一般化しないように、問題の大きさはやたら大袈裟に誇張することなく、認識するようにせねばならない。
 
7、二極思考をしない

  世の中に完璧なものは存在しない。どんな人にも欠点があるし、どんな規則にも例外がある。だから、問題は完璧かどうかではなく、いかに良くしていくかにある。問題があること自体は問題ではなく、問題をいかに解決し、現状をいかに改善していくかが問題なのである。したがって、一部に欠点があるから、上手くいかないことがあるからといって、全体を否定するのは歪んだ認識である。これを二極思考(All or nothing thinking)と呼ぶ。
  二極思考は極から極に走り、中間がない。ところが世の中、完璧なものもなければ、全く価値のないものもなく、すべてはその中間に存在している。したがって二極思考をすれば、すべてのものに完璧を期待し、結果、すべてのものが無価値だという結論に帰結する。完璧を期待しては、失望して否定し、次のものに期待する。そこでもまた失望し否定し、また次へ、というように永遠に接するものすべてを否定しつづけるさ迷い人と化す。
  ちなみに完璧主義ということばは、全く意味の違う2つの意味で使われることがある。なるべく完璧に近づけようと最善を尽くすのは良い完璧主義である。この完璧主義は、最善を尽くした後、完璧ではなかったからといってすべてを否定することはない。過去より現在、現在より将来、良くする。その時その条件の中でのベストを尽くす。これをベスト思考と呼ぶ。

  最悪なのは、一部に問題が見つかったら、いきなり一切を否定するという意味での完璧主義。何か一つの部分を完璧にしようとこだわる余り、他の大部分を無視してしまう結果として、全体をダメにするパターンもある。これを自滅思考と呼ぶ。二極思考の一種である。世の中に完璧なものがない限り、何をやっても不満に思い、失望し、否定するという不幸キャラと化してしまう。かさふた。「いーっ」となる。トランプでピラミッド。根気のいる作業。自滅思考は、思考といってもむしろ衝動に近い。自分を不幸にする衝動に負けないように。

8、自分の感情を論拠にしない

「私は腹がたった。だからあなたは悪い人だ」「私は不満だ。だからこの環境はひどい環境だ」「私は社会に憤りを感じる。だからこの社会はろくでもない。そんなろくでもない社会には制裁を加えて当然だ」
  これらは、いずれも自分の感情を根拠にして、状況や人の善悪を論じている。これを感情論法(Emotional Reasoning)と呼ぶ。
  そもそも、同じ事実に対して人それぞれに認識を選ぶのだから、認識は事実ではない。各自の認識は各自が創り上げた創作物である。歪んだ認識は、事実からほど遠い歪んだ創作物である。その歪んだ創作物の上にできあがった感情は、歪んだ感情である。したがって自分の感情を根拠として、物事を判断したり、議論をするのは大きな間違いである。
  コミュニケーションがこじれて、言った言わないの話になったときに、次のような類の会話がよくある。

A: 「私はあなたに無能だと言われてショックを受けました!(ぐるるるる・・・)」
B: 「無能だなんて一言も言ってませんよ。書類に誤字があるから直してくださいと言っただけですよ。(ひえーっ)」
A: 「でも私はショックを受けたんです!私がそう感じたということは、無能だと言ったの
と同じでしょ!!(がおーっ!)」

ものごとや人を判断する際には、自分の感情を絶対的な論拠として扱わないようにしなくてはならない。それはタコ足的非論理思考である。

9、事実の選り好みをしない

  自分が関心のある、または自分の考えにあっていることばかりを事実として取り上げ、自分の考えや認識に合わないものは取り上げない、または無視をする。事実を拠り好みして、都合のよいところだけを抽出する。これは歪んだ認識である。
 
10、ネガティビズムに陥らない
 
  ことさら欠点やデメリットばかりを取り上げて批判し、長所やメリットは過小評価、または無視する。これをネガティビズムという。美点主義の反対だ。
  「人の不幸は蜜の味」ということばがある。人間はスキャンダルが好きだ。特に人伝えにネガティブな話を聞いたら気をつければならない。例えば、Aさんが○○がろくでもないとけなしていたら、「Aさんが○○がろくでもないとけなしていた」という事実から推測をする場合は、「○○はろくでもない」というところより、「Aさんは人をけなす」というところに本質がある場合が多い。

Thoughtは、Fact(事実)にCognition(認識力)とAttitude(心の姿勢)の2つの要素が加わってつくられる。
Attitudeが今のHPのあれやろうな。三慢とコミュニケーションとの関係をどうする?
  失望するほど厳しいものはなく、慢心するほど甘いものもない。
悲観的すぎる、楽観的すぎるの境界。


自分の期待どおりに人が動いてくれないとき
  まずは事実を確かめる。「動いてくれない」というのは事実か?
  メールの返事が届かない。「メールを無視された」「私のことを軽視している」「私と話をするつもりがない」「あの人はひどい人だ」と歪む前に、真意を確かめる。
  Just an Askingとも関係。

「歪み」と呼ぶか?




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