僕は若い頃、「謙虚」っていう言葉に強い反発心を感じていた。
「なぜ自分自身を低く見せなければならないんだ?
そんなの、自分を偽ることにならないか?
処世術?道徳?そんなものいらん。
俺は俺らしく素直にありのままに生きる。
その方が正直じゃないか?
謙虚なんて言うやつは、うさん臭くて嫌いだ。
ありのままが一番だ!」
今から思えば「謙虚」の意味が分かってなかったのだなと思う。
初めて僕に謙虚の意味を教えてくれたのは、故松下幸之助さんの
「素直な心」という分章だった。僕はその時初めて、「謙虚さ」「素直な心」「ありのままを見る」
の意味を知り、衝撃を受けた。これまで自分が犯してきた過ちと勘違いが恥ずかしくて涙が出てきた。
翌日松下氏の訃報が流れた。会ったことも無い人の死を生まれて初めて残念に思った。
それまでの僕の考えがどう間違っていたのか?
「謙虚とは、ありのままの姿を偽ること」というのが、実は全く正反対だったのだ。
人間とは、実はデフォルトでは、ありのままを認識できない性をもった罪深い生き物だ。
「人は誰でも2つの籠をさげている。前に一つ。後ろに一つ。前の籠には自分の長所というボールが、
後ろには自分の欠点というボールが入っている」
つまり、人は自分の間違いには盲目なのだ。
「自分だけは善である」「自分が思っていることは正しい」と盲目的に思い込んでいる。
鳥が泳げないことを魚が笑い、魚が歩けないことを犬が笑い、犬が飛べないことを鳥が笑うようなものだ。
お互いがお互いの無能さを糾弾し、存在を否定する。
放って置けば、人間はありのままを見ることができないのだ。
自分が見えること、感じることが、考えることが、全てだと思い込み、その偏った狭いものさしで、
他人を評価し、批判し、否定する。
つまり、人は誰しも、
「独り善がり」という幻想に囚われる盲目者なのだ。
自分が、ありのままだと思っていることは、ちっともありのままではない。
自分だけが正しいと思っている、独り善がりな幻想だ。
「独り善がり」な妄想から目を覚まし、ありのままを見ようとすることが「謙虚」
になるということの意味だったのだ。
【独り善がりの4大典型】
今度は具体的に
僕が感じてきた「独り善がり」に他人を否定する4つの典型要素を挙げる。
- 社交性 ⇔ 集中力
社交的な人が、社交的でない人を一方的に否定する。
自分が集中力に欠け、考えが浅いことに気づかないままに。
集中力のある人が、集中力のない人を一方的に否定する。
自分が社交性に欠け、人の輪をつくるのが下手なことに気づかないままに。
- 論理 ⇔ 感情
論理的な人が、非論理的な人を一方的に否定する。
自分が人の感情を読み取る感受性を持たないことに気づかないままに。
感情を敏感な人が、感情に鈍感な人を一方的に否定する。
自分が論理的一貫性のない支離滅裂なことを言っていることに気づかないままに。
- 現実 ⇔ 理念
細かいことに几帳面な人が、理念的な人を一方的に否定する。
自分が物事の本質が分からず、表層に捕らわれる小人であることに気づかないままに。
理念的な人が、抽象的概念を理解できない人を一方的に否定する。
自分が頭でっかちで現実性に欠ける役立たずであることに気がつかないままに。
- 堅実 ⇔ 柔軟
堅実性を重んじる人が、堅実性に欠ける人を一方的に否定する。
自分が柔軟性に欠け、融通の聞かない頑愚であることに気づかないままに。
柔軟性を重んじる人が、柔軟性に欠ける人を一方的に否定する。
自分が、行き当たりばったりで、ずさんな仕事をしかできないことに気づかないままに。
互いに欠けている点を否定しあっていたら、この世には誰も残らない。
他人の欠点に腹が立って仕方ないときは、自分の欠点を周りの人が許してくれていることを
思い出すがいい。
どのタイプも貴重な能力なんだ。大切なんだ。
それぞれの良さを発揮し、互いに学び、欠点は補いあっていくべきだ。
「愛情」と「敬意」と「感謝」の心で。
それに気づくための心の姿勢が「謙虚さ」だ。
そうすれば、みんながハッピーにWINWINできる。
一人でも多くの社員が「独り善がり」の檻から開放されますように。。。
GLOVAが、愛情と敬意と感謝に溢れたハッピーな職場でありますように。。。。
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