何を正しいと思うかは人によって違う。そして意見を強く主張する人はみんな「自分だけが正しい」と思っている。だから、みんなが自分の考えに固執し譲らなければ、社内は衝突だらけで収拾がつかなくなる。各自が思い通りのことをばらばらにやっていたら業務もめちゃくちゃになる。
かといって、あまりに中央集権で官僚主義的な組織にすると息苦しい。活力を失う。硬直化して腐って死に至る。
したがって、組織の秩序を重視する余り、むやみに個性をつぶすようなことはしてはならない。かといって、みんなが思い思いに好き勝手やっていいわけではない。そこで、どこまでが許されてどこまでが許されないかについて、全員が最低限の共通基盤となる認識を持つ必要がある。
社会一般における組織の原理原則を、最低限の秩序として本規定で定め、そのなかで最大限に個を活かすことを目的にして「第 3 章 アンチ官僚主義規定」を定める。
ほとんどの人は、単純に社会常識として「上司の決定や命令に従わねばならない」と思っているが、その意味をより明確にするために、その正当性の根拠について説明する。
意思決定者=リスクテイカー
結果に対する責任と手段を決定する権限は表裏一体である。意思決定によって生じる結果に責任を負う者が意志決定の権限を持つということだ。例えば、どんなカーテンを選ぶかはその家の人が決めることで、隣の家の人が決める問題ではない。隣の人がインテリアコーディネーターでセンスが良いとしても、隣の家のカーテンを決める権利はない。カーテンを買うときの代金としてかかる金銭リスク、買った後、良かったか悪かったかという結果に責任を持つのはカーテンを買う人だからだ。
資本主義社会における結果責任とは、最終的には「資本金のリスク」である。すなわち株主がお金を出し、企業が倒産したらお金がパーになるリスクを負うというのが結果責任だ。つまり究極的な意思決定者は株主(株主が複数のときは議決株数。簡単に言えば負っているリスクに応じて決定権がある)ということになる。非公開企業の場合は、最大株主=代表取締役である創業オーナー型がほとんどで、我々も現在はそのかたち(ちなみに CEO が負っている金銭リスクは資本・借入金の保証をあわせて約 8 億円)。つまり、我々の場合、 CEO が最大の結果責任者=意思決定者ということになる。ここまでがリアルワールドとしての結果責任と意思決定権である。
これに対して、会社内で定められた権限と責任はバーチャルなものだ。すなわち経営についての意思決定権を持つトップが、自分が信頼できると思う社員に自己の権限を委譲するとともに、それに応じた責任を設定しているのが会社内での「権限」と「責任」である。言い換えると権限を与えられた人には、リアルワールドでの経済的責任はなく、トップが自らの意志で権限を委譲することに決めたバーチャルな権限と責任だけがあるということになる。つまり、世の中での会社内での権限と責任のあり方はトップの考え方次第ということになり、そのあり方にはトップの個性がでる。すべてを自分で決める徹底的にワンマンな社長もいれば、かなりの権限委譲を行い部下に任せる社長もいる。いずれにせよ、企業における意思決定権・指揮命令権の正当性は以上のような社会の原理原則から発する。
社員が会社の定めた意思決定や指揮命令の権限に逆らうことは、経営者が会社の借入金の個人保証や経営上の損失の弁済を社員に押し付けるのと同じくらい暴挙なのである。
|